鳥取縣護國神社について

由緒
鳥取縣護國神社は、戊辰戦争から大東亜戦争までの国難に殉じた鳥取県出身および縁故のある神霊23,478柱を祀っています。
明治元年(1868年)11月12日、邑美郡古市村大字郭台(現在の千代橋東詰付近の河原)に仮の祠を設け、藩主池田慶徳が祭主となって戊辰の役に戦没した鳥取藩士の招魂祭を斎行したことが、当社の起源となっています。
明治3年(1870年)5月3日には邑 美郡浜坂村大字代々山(現在の浜坂小学校)で招魂祭があり、その後この場所に社殿が建てられ、同年9月に当社が創立されました。
明治8年(1875年)には池田家より鳥取県に移管され、鳥取招魂社と改称。明治12年(1879年)12月には鳥取町西町(現在の鳥取地方検察庁)に移転し、次いで西南の役の従軍戦没者を合祀しました。さらに明治30年(1897年)11月に鳥取市上町の樗谿神社(現在の鳥取東照宮)の付属地に移転し、その後、日清日露戦争はじめ数度の国難に殉じた英霊を合祀しました。
昭和14年(1939年)4月、官祭護國神社の指定を受け、鳥取縣護國神社と改称。社殿神域ともに整備され、旧本殿は昭和15年(1940年)に菖蒲神社に譲渡されました。
占領下にあった昭和21年(1946年)には因伯神社と改称しましたが、昭和27年(1952年)1月に鳥取縣護國神社に復称。この間、昭和22年には鳥取市寺町の火災の飛び火により社殿を焼失しましたが、県立智頭農林高校の旧奉安殿の譲与を受け、本殿としました。
昭和30 年(1955年)3月には、伊勢神宮別宮倭姫宮旧殿の譲与を受け改築。旧本殿は八頭郡河原町山手神社本殿として譲渡しました。
そして昭和49年(1974年)5月、鳥取大砂丘を見晴るかす景勝地である鳥取市浜坂の現社地に新設移転し、現在に至ります。神宮より譲与された旧本殿は、日野郡日南町霞神社本殿として譲渡致しました。

御祭神
国家公共につくした人の神霊23,478柱
祭祀
春季例大祭 4月22日
秋季例大祭 9月22日
(22日が土日祝日にあたる場合は20日に斎行)
英霊感謝祭 8月15日、12月8日
春と秋の例大祭には、知事以下県下公共団体長の臨席のもと、主として県下遺族が参列。
鳥取敬愛高校生徒による浦安の舞他、詩吟・生け花等の奉納がある。


周辺のご紹介

鳥取大砂丘を見下ろす丘に建つ当神社からは、砂丘はもちろん日本海も一望できます。
また周辺には親子で楽しめる施設やゴルフ場、キャンプ場、カフェなどがあります。
※画像は全てダミーです
鳥取砂丘

神社の境内からも一望できる日本最大級の砂丘で、広大な砂の風景が広がります。砂丘の散策や、ラクダ乗り体験、パラグライダーなどのアクティビティも楽しめます。
鳥取砂丘こどもの国

こども達が自然とふれあい、遊びや創作を楽しむことができる施設。乗り物広場、工作のできる工房、大型遊具などがあります。


アクセス
電車
鳥取駅北口から車で約5分 湖山駅から車で約6分
バス
子供の国入口から徒歩5分 子供の国バス停から徒歩6分
車
山陰近畿自動車道 福部ICより7分